中年リーマン、へじくま日々を生きる

しがない中年サラリーマンが好きなことを書いてます

ああ、今日も楽しかった、と息子が言った

 一か月以上前の話なのだが。

4歳になったばかりの息子の言葉だ。

あいにくの雨模様のため、大好きなお外に出られずにいた息子の。

 

 この2日前まで息子が家に持ってきた胃腸炎

息子→妻→僕の順番で1日起きに発症し、えらい目にあっていた。

 

 最後にかかった僕は土曜に発症し

日曜には峠を越えたものの

倦怠感が残り、外も雨で、せっかくの休みなのに

満足に遊んであげられなかった。

 

 日曜の夕方、雨が上がった。

ある程度調子の戻った僕は、息子を連れてお外へ。

もう晩御飯も近かったので15分ほど散歩をした。

 

 さあ家に帰ろうというところで

「ああ、今日も楽しかった」と息子が言った。

 

 ちょっと感動した。

満足に大好きなお外での遊びができなくて

15分程度の外出でも、こう思えて言葉にできることに感動したのだ。

 

 足るを知るというのか。

 

 生活しているといろんなことがある。

そんな中で忘れていた気がするが

自分の今ある状況に満足できるということは

素晴らしいことなんじゃないか、と思う。

 

というのも大人になると色々と欲が出る。

 

 僕は欲の少ない方じゃないかと思うけど

お給料やら、家が欲しいとか様々な願望を胸に

それらが改善しないことへの不満の中に生きている。

 

 そしてそれらを心に押し込めて生きていると本当に思う。

 

 だけど、家族ともに健康を取り戻し生きていること

幸い飢えたりしない程度には給料をもらっていること

幸い世間でいうブラックでないこと(多分)

 

 家族で毎日、過ごす時間があることは当然のことではなく幸せなこと

生きていることはいいことだな、と思う。

 

 長期休みなどがあるたびにそれを思い返すのだが

あわただしい日常に戻ると

そんな当たり前の生活に満足ができなくなる。

 

「ああ、今日も楽しかった」

素晴らしいね、息子よ。父ちゃん一本とられたよ。

 

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お散歩の時に息子が撮りました


 ……ところで今

「新しいおせんべがいい!このおやつはいやだ!」

と日常当たり前に出してあげているおやつへの不満を

叫ぶ息子がいるのだがどうしたらいいのだろう。

 

その場にでているおやつで満足せい!