備蓄と僕と冒険ものと
かなり小さいころから、残量というものにこだわりがあった気がする。
ストーブの灯油、麦茶のポット、おやつ入れの中…
小学生1、2年の時、紙によく落書きをしていた。
戦隊ものが好きだったので、ロボや戦艦の断面図みたいなものを書いていたが
あちこちに燃料タンクを敷き詰めていたのを思い出す。
残り少ない不安というより、備蓄があることに妙な喜びを持っていた。
今もまだ、その傾向はある。
特に食物だろうか。
缶詰やレトルト、飲料水…保存の利くものは溜めたくなる。
そういうベースがあるので
冒険ものやサバイバルものの作品を非常に好む。
冒険が超楽しそう、船や家を1から作るの超燃える、食べ物超うまそう。
とか色々あるが
「飲料水:2樽 干し肉:1樽 燃料:10壺 ロープ20本」
みたいな備蓄品の描写が出ると鼻血が出そうなくらい楽しくなる。
出来たら、ざっくりとした数がいい。
「米:120㎏ 飲料水:36ℓ」より「米:2俵 飲料水:2樽」のように。
少年は多かれ少なかれそういう傾向にあるんじゃないかと思っている。
15少年漂流記やロビンソン・クルーソーが名作として
語り継がれるのは物語の良さのほか、最初に備蓄品の描写を出すことで
これがあれば何ができるだろうと少年達の冒険心をくすぐったからではないか。
キテレツ大百科で洞窟を掘るか利用して秘密基地を作る話がある。
備蓄食料としてカップラーメンが山盛りに入った箱が置いてあったりするのだが
あれは、うまそう感と備蓄ある感を同時に満たす秀逸な表現だと思う。
ああいった描写一つとっても
藤子・F・不二雄先生は少年の心を忘れずに作品を描く天才だった。
というわけで今日もスーパーの缶詰やカップラーメンコーナーを
にやにやを噛み殺しつつまわるのだ。
家に置くと場所をとるなあ、と思いつつ。